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2023.04.19

白血病と人生について

みなさん、
こんにちは。

ホテル旅館専門コンサルタントの坂本です。

ブログに書くことでもないのですが、
たまには、ホテル以外のことや、

仕事ではなく、もっと大きな「人生」と言う視点で

書くことも必要かな、と考えて、

とりあえず書くだけ書いてみようかと。

あんまり意義を感じなければ、削除すれば良いことですし。



さて、実は、昨年の3月に、


「急性リンパ性白血病」で入院することになりました。

そこからありがたいことに、

姉がドナーとして合致したため

6月末に抗がん剤治療・放射線治療を行い、

7月に「骨髄移植」を行い、

8月に退院しました。

しかしながら、

10月にウイルス性肺炎で、再入院、

12月にもサルモネラ菌による腸炎で再再入院。


年が開けて、

3月末から、複数の肺炎を併発して、再々再入院。

1年間のほとんどを、病院で過ごしています。


仕事柄、ホテルや旅館などへの現地訪問も必要なのですが、

このコロナのおかげ?というと語弊がありますが、

オンラインでの対応も、だいぶ認めていただけるようになりました。


さて、せっかくなので、

どうして、「白血病」がわかったのか、

その時の気持ちなどをつらつらと書きたいと思います。


2022年は、年始は元気だったのですが、

1月中旬くらいから急激に体重が落ちました。

元々、80kg以上あるのですが、

10kgくらいが、急激に落ちました。

毎日訪問する客先への足取りが、

毎回重くなりました。


どなたかのブログで、


「毎朝起きて元気になっているのが健康状態、

毎朝起きて、昨日よりしんどくなっているのは病気状態」


と言うことを見ていたので、


「これはおかしいぞ」と考えて、


病院へいきました。


最初に診てくださった先生から、

内科系の先生へ担当が変わり、

内科系の先生からは「ウイルス性の病気かな」

くらいの感じでした。

しかし、最初に診てくださった先生が、


「いや、この急激な体重減少は、血液系の病気の可能性がある」

と診たててくださったおかげで、


ある意味


「生命を救っていただきました」


それでも、仕事を続けていたのですが、


流石に3月に入ると、


歩くのもやっと、階段を降りるのもやばい、


と言うような状況になり、


急遽、そのままの足で、

最初の見立ててくださった先生にお願いして、

紹介状を書いてもらいました。


仕事道具を持ちながら、


自宅に着くと、救急車が待機しており、


そのまま病院へ。


そして、そのまま入院。


お医者様からは、


「あと2週間遅れていたら、今年の桜観れなかったよ」


とのお言葉。


骨髄を抜こうにも、詰まりすぎて抜けなかったり、


諸々検査の結果、


冒頭に書いた「急性リンパ性白血病(フィラデルフィア染色体)」


と言うことがわかりました。


第一印象、




「死ぬんか?死ぬんか?死ぬんや」



です。


よくよく話を聞いてみると、


この15年くらいで医療の進歩のおかげで、


5年後の生存率は、60%くらいだそうです。


他の方で言うと、


水泳の池江璃花子さんが、

同じ「急性リンパ性白血病」ですね。



さて、個人事業みたいなものなので、


ある程度融通がきくため、

仕事には、それほど影響なく


半年間の入院生活に入ります。


その間に、youtubeで治療内容などを動画配信して、

病院に怒られて、チャンネル閉鎖したり、


スパイスや動画編集の勉強したり、


と、色々と新しいことを始めたり、やめたりしました。


特に、ここだけの話ですが、


「人間関係」については、


これを機会に、連絡を取ることをやめた人もいます。


結果として、良かったのかなあ、と考えるようにしています。



そして、

「死ぬ」と言うことが、目の前に突きつけられたおかげで、

今まで以上に「考える」そして「死を意識する」ことになりました。


だからと言って、必要以上に不安になることもなく、

恐怖で眠れない夜を過ごす、みたいなこともありませんでした。


もっと前向きな感じでしょうか。


「残りの時間=限りある人生」をもっと充実させるためには、

どうすれば良いのか。


月並みですが、


「やりたいことを、やれるうちに、やる」こと。


新しくやりたいこと、をリストアップする。


家族や親族へ、感謝のメッセージ動画を作成する。


などなどでしょうか。


葬式の準備は、まだしていませんが、


できれば「樹木葬」でもしていただいて、

お墓なぞは不要なのです(次男ですし、嫁も次女なので)。


残せるものなぞは、何もなく、

逆に、私がいなくなった後の、


「家族の生活」は大丈夫なのか?


「私がいなくても、少しでも収入が入ってくる仕組みを作らないと」


と言うような気持ちで、


この1年間、療養しながら、取り組んできました。


まだまだ結果も、仕組みづくりもできていませんが、

なんとか早いうちに、仕組みを作りたいと思います。


さて、「白血病」と聞いた時、


正直、「死ぬんか」の後に、


「やっぱりな」と言う気持ちがあったのも事実です。


私の親は、どちらも癌になっていますし(一応、白血病などは遺伝しない、と言われています)、

就職してから、暴飲暴食して、ストレスたっぷり生活をしていましたので、

「絶対癌になるわ」と言う気持ちは持っていました。


「覚悟」はいまだにできていませんが、

「心の準備」くらいはできていました。


でも、あんまり落ち込むこともなかったのも事実です。

なぜなら、

私の、いや、生物の基本的役割は、


「自分のDNAを残す」ことです。


おかげさまで、私には、2人の子供がいます。


この子達が居る限り、


「生物としての基本的な役割」を満たしている、

と、自分では納得している自分がいたので。


でも、やっぱり、


「息子とお酒を飲みにいきたい」


ですし、


「娘の結婚式に出席したい」


ですし、


「孫の顔を見てみたい」


です。


入院してから1年が経ち、


大まかな治療方針が出るのが、


「骨髄移植から1年後=つまり今年の7月」です。


さてさて、どうなるか。


無理はせず、治療を優先で、


でも、生き甲斐としての「仕事」って大事ですよね。


「社会と繋がっている」って、やっぱり嬉しいですよね。


まさに「生き甲斐」です。


刺身や寿司、たたき、生卵なども食べられませんけど、

毎日、妻が工夫しながら、美味しい料理を作ってくれる。


病気になって初めて、

「食べるものって本当に大切だ」と実感することばかりです。


だって、


「食べられない」ことが多いからです。


上に書いた通り、「ナマモノ」が食べられないことも、

もちろんなのですが、


それ以上に、添加物や加工品を身体が拒絶するんです。


身体は、わかるんです。


自分の身体に、必要なもの、必要じゃないもの、

あるいは、取り込んではいけないもの。


元気な、健全な時には気づかない、

食事・食材は、本当に大切です。


今の日本の食材の話や農業の話は、また改めてしたいと思いますが、


本当に、このままの食生活が続くと、


日本人は滅びるでしょうね。


そんなことまで、白血病になったことで、

真剣に考えるようになりました。


仕事も、楽しいのですが、

「無理はしない」

人生を楽しむためには、


仕事=家庭=遊び(趣味)


のバランスが大切だな、と実感したり。


妻と旅行に行きたいなあ、と考えたり、


息子・娘の成長が、


本当に、頼もしく感じたり
(でも、しょーもないことで怒ってばっかりですが)、


自分の「まだ見ぬ人生の終着点」を意識させてもらったおかげで、


本当に、いろんなことを考えて、


いろんなことを意識するようになりました。


最後に、apple創業者のスティーブ・ジョブズの言葉を。


「もし今日が人生最後の日だとしたら、

今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?」


この続きが確か(おぼろげですが)、

「もし数日間、自問自答して、違う、

と言うのであれば、すぐに今やろうとしていることをやめて、

本当に自分のやりたいことをやるべきだ」

みたいな内容だったと思います。


私の人生は、とても幸せな人生であり、

自分の意思で、自分で決めて、自分で創ってきた、

と言う自負があります。


皆さんは、どうでしょうか?